亀丸です。

易経には、現代人の感覚で読んでも古びない鋭さを持った言葉が含まれています。

苦節を貞にすべからず

水沢節の卦に「苦節不可貞」と書かれています。
「苦節(くせつ)を貞(てい)にすべからず」とよみます。

「苦節」は現代の日本語でも使われる言葉です。

たとえば、長い間売れなかった演歌歌手や芸人がようやく売れ出したとき、
「苦節10年、ようやく日の目をみることができました」
などというふうに使われます。
「苦節」は苦しかった期間という意味です。

「貞にすべからず」の「貞」はここでは「良いこと、正しいこと」ぐらいで訳しましょう。

「苦節を貞にすべからず」は、「苦しかった期間を良いことや正しいことだったと考えてはいけない」ということになります。

苦節不可貞01



苦しかった時代があったからこそ今の私がいる──


苦しかった時代があったからこそ今の私がいる──

人間はそのように考えます。
過去の苦しさを、それは何の意味も無い苦しさだったと考えることは、とても辛い。
苦しさになんらかの意味があった、なんらかの成長につながっていた、と考えるから私たちは生きていけるのです。



でも、易経はそんな甘い考えをドンと突き放します

「苦節を貞にすべからず」

苦しかった期間を良いことや正しいことだったと考えてはいけないというのです。

なぜそんなことを言うのでしょうか。
「苦労したことに無駄なことはないから」「涙の数だけ強くなれるよ」と言ったほうがやさしい感じがするのに、なぜ突き放すようなことを言うのでしょうか?




世間の成功者のなかには、自分の過去の苦労話を自慢げに語る人が少なくありません。
おそらく易経はそういう人を念頭に置いています。

苦労自慢はみっともない、ということだけではありません。

自分の苦労をとりたてて主張する人は、たいがい他人にも苦労することを要求していきます。
「オレも苦労した。だから、お前も苦労するべきだ」
苦しいことをさせるのはお前のためだぐらいの勢いで他人に負荷を与えてきます。
ブラック企業や極端な体育会系の構造は「苦節を貞にする」ところから始まっているように思います。




苦しさに意味を求めることで、さらに苦しさを増大させることがある

鑑定をしていると、明らかにもはやうまくいっていない恋愛にいつまでも執着している人がよくやってきます。
聞いていてこちらが辛くなることもあります。

本人の気持ち次第なのでなんとも言いづらいのですが、こんだけ長い間苦しんだんだからこの恋愛で報われないと意味がないというような意地になっているだけにみえる人が少なくありません。

過去の苦しさに何らかの意味を求めてしまうことで、いつまでも幸せな方向に舵を切れない。逆に苦しさを増大させていくことがあります。



きっとそういう相談者さんだけじゃない。
私たちは過去の苦しさや失敗に精神的に引っ張られて、そこになんとか意味をもたそうと、下手にもがいていることがいろいろあるはずです。

だから、苦しいことなんぞは単に苦しいだけに過ぎない、失敗は失敗に過ぎないと割り切る強さが、人生には時に必要なんだと思うのです。

苦しいことは苦しいだけ。
楽な道はいくらでもある。

同じ水沢節の卦のなかで、易経はこうとも言います。実にさらっと。
「甘節。吉」
甘い(楽な)人生で何が悪いのさ。

「苦節を貞にすべからず」

そういうことを言い切るところに易経の古びない鋭さを感じます。




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