亀丸です。
徳川家康と易占いの話です。

家康は易占で、関ケ原の合戦を占った

徳川家康は、関ヶ原の合戦の前夜に占いをしています。

家康は閑室元佶(かんしつげんきつ)という名前の易占い師を従軍させていました。
元佶は易により、関ヶ原の戦いでの勝利を占ったと伝えらています。おそらく単なる勝利だけでなく、細かいことも的中させたのでしょう。

その功績から元佶は、褒美として五山最高位の南禅寺の住持の名位を与えられ、幕府のなかで寺社や貿易に関する行政の任にあたることになります。

元佶の使っていた筮竹は今でも残されています。

閑室元佶筮竹


関ヶ原で元佶がどういうことを占ったのか──
中身についてそれ以上のことはわかりません。

ただいえるのは、家康も占いに頼りたくなるほど、この戦いの前夜は不安だったということです。

関ケ原の戦いは、結果としてわずか一日で家康側(東軍)が西軍を圧倒して勝利をおさめましたが、ひとつ間違えれば逆の結果になってもおかしくない戦いでした。

「このまま明日、関ヶ原で大勝負を賭けてよいのだろうか……」
「武将たちは自分の思い通りに動いてくれるのだろうか……」

家康の心中にはさまざまな不安や迷いが渦巻いたはずです。
それでも、占いが好結果だったことを信じて、運命の流れに乗り、勝負に挑んだのでしょう。

余談ですが、合理主義者の信長や秀吉と比べて、家康は占いや風水の類をわりに気にします。
家康は水曜日生まれなので、繊細で心配症で、占い好きなんだと思っています。

関ヶ原fullmoon copy


閑室元佶と足利学校


閑室元佶は1548年に肥前(佐賀)に生まれました。
幼くして出家し、京都にのぼり、僧侶として生涯を送りました。

1587年に元佶は、栃木県にある足利学校の校長(庠主・しょうしゅ)となります。
足利学校は中国の四書五経などの漢学を学ぶ学校で、最盛期は3000人もの生徒がいた関東一の学府でした。

この学校でとくに力を入れていたのは、易学でした。
「足利学校の易はあたる」といわれ、戦国時代にはここで易を学んで、吉凶判断の技術を売りに、軍師として各地の戦国大名に仕えるものもいたそうです。

元佶はこの足利学校のトップにあったのですから、易について抜きんでた技術を持っていたのは間違いありません。易学だけでなく、武術兵法、薬学などにも通じていたといわれます。
おそらく徳川家康が領地の移転にともない関東にやってきたとき、元佶と出会い、その才覚に目をつけたのでしょう。元佶の易の技術がいつの日にか必ず役に立つとみて、ブレーンの一人にしました。

元佶の死後も、足利学校は江戸幕府の厚い信任を受けつづけます。
毎年1月15日には足利学校からその年の展望や吉凶を占った「将軍家年筮」が献上され、幕府は重要な政策を決める参考にしていました。
足利年噬

写真は正徳4年(1714年)の「将軍家年噬」です。
この年の卦は「風雷益」から「山火賁」に之く──わりと景気の良い一年だったのかもしれませんね。

このように徳川家は代々、ひそかに易占いと深い関係があるのです。





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